
時代の変化が
イシイの商品づくりの
「創造力の源」である。
第1創業期
石井食品のはじまりは、
すべてを失いゼロからの
スタートであった。
1946年1月24日、
それまで営んでいた電気器具の修理工場が火事に遭いすべてを失いました。
戦後まもない日本では銀行も機能せず現金も食料もなく途方にくれましたが、
100人の社員ととも必死に打開策を模索しました。
1946年春、船橋の海から海産物が多く漁れる事をヒントに、
食品加工の工場を始め、同時に佃煮の製造販売を開始しました。
昭和二十六年頃の
工場内の佃煮と木箱。
石井食品が誕生した
昭和二十三年頃の社員の様子。
他にない商品をつくること。
それはお客様が本当にほしいと
思うものである。
1950年代に入ると、「イシイの商品がほしい」と高い評価をいただき、
一般のお客さまの他に小売店・卸問屋とのお取引が始まりました。
同時に多くのご要望や課題も発生するようになりました。
当時はまだ必要な材料が手に入らない状態でしたので、
試行錯誤をしながら独自の工夫をし味付けを行ったり、
おいしさを長持ちさせるため、真空パックを採用するなど、
他社にはないイシイならではの商品づくりを徹底して行いました。
石井食品が開発した
煮豆の真空包装技術。
第2創業期
日本初の調理済み"チキンハンバーグ"は、
当時あふれていた鶏肉を
美味しくすることからだった。
1970年代、高度経済成長期を迎えた日本は急速に発展し人口も増加、
モノのない時代からあふれる時代へ変化しました。
すると「安くておいしいもの」を求められるようになりました。
イシイは当時あふれていた鶏肉に目を向け、本場アメリカでの利用法の調査や、
日本人にあう調理研究を何度も重ね、忙しい日々を過ごす当時の日本にマッチする
「お湯にいれて、はい3分」の日本初の調理済み
“チキンハンバーグ”が誕生しました。
画期的で新しいこの商品は瞬く間に人気商品となりました。
現在の商品
初期の商品
愛されつづけるお弁当のおかず
"ミートボール"の誕生とともに
競争が始まった。
"チキンハンバーク"の発売から程なくして、
今や定番となったお弁当のおかず「おべんとクン ミートボール」が誕生しました。
当時は現代のようなチルド冷蔵の輸送チャネルや保管技術が
ほとんどなく手探りな状態での開拓でした。
全社を挙げて輸送チャネル・販売ルート、商品認知にむけた販促活動などを行った結果、
お客さまのニーズにあった、「便利で価格の安い商品」はチキンハンバーグと並んで、
爆発的な人気商品となりました。しかし同様の商品が同業他社より次々と発売され
調理済み食品市場の競争が激化しました。
現在の商品
初期の商品
第3創業期
「このままで良いのか?」
過当競争時代から
"食の安全"を追求する時代へ。
便利で価格の安い商品が世の中に溢れ出すと、
商品の良さをアピールする宣伝競争が加速し、
他社よりも美味しそうで鮮度がよく見える商品をつくる!という考え方が
市場全体で浸透していました。
イシイは一方で「このままの商品づくりでよいのだろうか…」と考えはじめていました。
その後イギリスでの狂牛病を期に行政も禁止添加物の発表を行うなど
日本の食に対する意識が一変しました。
イシイでも「食の安全」に向けた商品づくりに大きく舵を切ることになりました。
すべてにこだわりを。
すべてをオープンに。
イシイは食の安全に向けて、商品づくりを一新する決意を固めました。
安心していただくために、「常に使用原料、調味料、
そして検査内容についてオープンに知らせていこう」
そして食品添加物を使用しない「無添加調理にしよう」という思いに至りました。
この取り組みは素材選び、加工、味付け、製品開発、工場の整備や建設に至るまで
さまざまな改革が必要となり簡単ではありませんでしたが、
一つひとつ真剣に向き合い解決して行きました。
現在は、商品情報公開する「OPEN ISHII」の開設や、
当社製造商品をすべて「無添加調理」を実現しております。
さまざまなニーズに合った、
本当の価値あるものを提供することが「日本の食」につながる。
高度経済成長期から半世紀が経過しつつある今、時代は多様化へとシフトしています。
「みなさまが本当に求めている食とは何か?」
「食料があふれている日本は本当に豊かなのだろうか?」
「食品業界に求められることは何か?」を常に問い未来を見据えながら、
本当に価値のある"安全で美味しい日本の食の提供"を考えてまいります。